最近は少なくなったのですが、FACEBOOKのアクティブユーザーが多い時期だったでしょうか、写真と撮影現場とのギャップ?や、レタッチについて、メッセージやコメントで色々ご指摘を頂く時期がありました。
僕の偏見ですが、FACEBOOKが賑やかだった時代は何故か、持論=正しい!という印象の人がいきなりぶん殴ってくることが多かったように感じます。他のSNSでも一定数いらっしゃいますが、FACEBOOKは特にそんな印象が強く残っていますね。
ちなみに内容はというと、「自然ではない」「こんなに色鮮やかではない」「実際に行くとこんな風には見えない」などなどでした
反論すると面倒なので、該当の写真を削除したりしていましたが、とりあえず、最近落ち着いてきたので、撮影現場と写真のギャップと、レタッチについての見解をわけてお話したいと思います。
撮影現場と写真のギャップ
わかりやすく有名な事例をあげると、国内では”札幌市時計台”ですかね。背後にビルがあったりとか、実際に行くと「風情がない!」などといった声をよく聞く場所です。
でも、写真の撮り手によって、見ている構図(見えている構図)が違っていて、”こう撮ればこの建物の雰囲気は引き立つ!”って見極められていたりします。そうやって撮られた写真は、単純な観光写真とは違い撮影者の感性で雰囲気をとらえた”作品”として出来上がるわけです。同じ場所を見ているようで、その視点はより多角的かつ多面的だったりするわけですね。ちょうどわかりやすいブログさんがありましたので、リンクしておきます。
「札幌時計台、がっかりしますよね。でも冬の夜に撮ると最高なんです。」
つまりは、撮り手の感性で見えたものや世界観が現れたのが、写真作品だと私は思っています。
それが、万人受けする、誰が見ても納得のストライクゾーンの広い構図であれば問題にならないのですが、撮影角度や切り取りで変化するとなると、作品を見た人が周囲の情景も自分の感じた理想でイメージしてしまう…
このギャップでどうしても裏切られた…と、いう気持ちを作ってしまうかもしれません。そこはなんとも難しいところなのですが…
ただまあ、「違うじゃないか!」とカッカするよりも、どちらかというと、撮影者の感性で見ている世界観とか視点を自身にも取り込んで、風景を楽しんでもらう方が人生楽しいのではないかなぁと思っています(^^;)
レタッチについて
本当に難しいですね。数年前にかなり論争にもなりましたが、それこそ風景写真の定義とか、本当に個人の主義、主観に基づくものなので対立して当たり前なんですよね。
”風景写真なら風景をありのままで”
これは正論だと思うんです。ただ、皆さんよくある経験だと思うのですが、実際に見ている目の前の風景、目の前の感動が写真で写すとどうも違う…ってありませんか?目の前のありのままが写真では表現できてないって…
それは、人の視覚でとらえた映像と、カメラでとらえた映像の差なんですよね
人間の視覚は様々な補正が脳によって自動で働きます。特に明暗差、写真では、ある部分に強く影が出てしまうけど、肉眼では明るいなんて、経験は多いと思います。そこで、それが気になる人は現像時にシャドウの補正をかけ明るくします。人の目に近づくようにと…
じゃあこれは自然なのか?人の目に映る映像、人が見たままの風景を自然とするなら自然なのでしょうとなるわけです。実際は脳で補正されているので、本当の意味での自然じゃないんですけどね。人間の感性を軸に置いた自然とすればそうなるわけで(・_・;)
なお、色の感じ方も個人差があるといわれています。もちろん、大きく感じ方が違うのは色覚の異常ですので、健常であれば個人差は大きくないでしょう。ただ、写真撮影では光を抑えたり、緑の鮮やかさを出すためにCPLフィルターなどのフィルターを取り付けて撮影することがあります。また星景写真では、星の光をぼかしたり、光害を抑えるフィルターを使うこともあります。これは自然なのかと。
ちなみに撮影時の工夫については自然と認められることが多いです。
ここに少し対立のヒントがあると思うんですよね。つまりは、フィルターなどで得られるレベルと同等のレタッチは許容なのではないかなと(^^;)
ただ、最近のフィルターって、一昔前より表現に様々なものが出てきています。例えばケンコーのノスタルトーンフィルター。ソフト効果に青みやオレンジの色味やコントラストがかかるフィルターです。
そして、kaniのサンセットイエローハーフフィルター。日の出や日の入りの際の色彩強調ですね。
恐らくこれらのフィルターは、自然な風景写真として受け入れられないんじゃないかなぁと思います。kaniの方はまだ許容かもしれないですが……
でも、作品の表現として求められているからこそ、こういったフィルターが販売されているわけです。こういったフィルター使用による作品も過度なレタッチと同等になるのでしょうか?
まあ、ポイントとしてはこういったところですね
・過度な表現変化という判断は見る人次第
・自然風景写真の定義に個人差がある
・自然風景写真なのか?感じた世界観を表現した写真作品なのか?の選別と理解
正直、僕もInstagramなどで、無茶苦茶ギラギラした風景写真をみて「ちょっとありえないなー」と、思うこともあったのですが、感じた世界観を表現した写真作品であるとすれば全然問題ないのかなと思うわけです。
僕の作品も「やりすぎたかな?(;´∀`)」と、思うことは自分でもありますし…
でも、たくさん自然風景写真を撮ってきた、特にフィルム時代から撮影されてきた方からすれば、「なんじゃこりゃ!!」ってなるのもわかる気がします。「こんな色や明暗差は自然にはないよ!」と
一方で意地悪な問いかけをするなら、”天の川はどうなるんだろう?”って話で、人間の目ではモヤがかかっているようにしか見えない、カメラだから綺麗に写るわけです。これって自然をそのままとらえたものなのでしょうか?「天の川の写真見て期待してきたけど、写真みたいに見えないじゃないか!」って怒る人は少ないと思います。これこそ、(天の川は)写真だからこそ表現できる風景なんだという認識、理解、許容が進んでいる証拠ではないでしょうか。
また、フィルターなんかが出始めた時はどうだったんでしょうか?
それまでフィルターなど使わずに撮影されていた人からすると、「それは邪道だ!」「自然じゃない!」「そんなのズルい!」っていう人もいたと思うんですよ
まあ、結局は”エゴとエゴのぶつかり合い”なんだろうなと
スマホの登場でより写真が身近になり、多くの人が気軽に撮影できるようになったからこそ、色んな視点や試行錯誤で写真表現というのがミックスされてきたので、古くから撮影をされてきた方ほど、現状に思うことが多いのは当然なんです。既存の考え方に囚われない、まったく新しい感性が入ってきたわけですから。
でも、なんでもそうですけど、時代に合わせて変化していくのものはあるけど、本質として残るものは残るし、需要がなければ消えていきます。それは時代の流れで自然とそうなるものです。
そんな対立で消耗していくよりも、純粋に作品を楽しむ方が僕にはあっています。
自分の考えは自分の考え。僕は押し付けるようなことはありません。
100人いて100人に支持されることなどないのです。
皆さんもそれぞれの感性にあった写真を純粋に楽しんでみてはいかがでしょうか?
コンテスト出品された作品を審査する審査員でもないのに、作品の作者に直接、持論でぶん殴るのはやめましょう(笑)
それが僕の見解です